「主な山城in西播磨」・・・(ご紹介)

「西播磨の山城」についてご紹介!!西播磨4市3町(相生市・たつの市・赤穂市・宍粟市・太子町・上郡町・佐用町)には、それぞれ由緒ある山城として昨今特に注目され、脚光を得ております。山城の歴史に関心のある方、興味のある方は、是非、歴史探訪し、想像してみてはいかがでしょうか・・・。

感状山城・・・(相生市)

鎌倉時代(1192~1333年)に瓜生左衛門慰が築城した説と、建武3年(1336年)に赤松円心の3男則祐が築いたとする説がありますが定かではありません。感状山城は足利尊氏が新田義貞の軍勢を赤松則祐が50余日わたって反戦した結果、足利尊氏の反撃の機会を得たことに対して感状が与えられたことから感状山と呼ばれており、現在も感状山城として平成8年3月28日、国指定史跡になっております。

前期龍野城(鶏籠山)・・・(たつの市)

龍野城は、鶏籠山山頂の山城と現在の平山城に分けられます。山城は、500年前、赤松村秀によって築かれ4代まで続きましたが、天正5年、豊臣秀吉によりしろわ明け渡しました。その後、山麓の平山城となり、数回城主交代がありましたが、寛文12年に信州飯田から脇坂安政が入城しました。脇坂藩は明治初年まで続きました。

尼子山城・・・(赤穂市)

尼子山城は、尼子将監義久が城主ですが、築城時期は不明です。築城後は、尼子将監義久は、出雲の冨田城に帰り、その一族がこの城に残ったとも言われております。

永禄6年(1563年)には落城し、その後は、赤松菜女が入城したとも言われております。この赤松菜女も天正年間に羽柴秀吉の攻撃で落城しましたが、尼子義久の墓が山麓に建立されております。

茶臼山城・・・(赤穂市)

鎌倉時代に築城された茶臼山城は、赤穂市坂越港の北側に位置し、室松時代に築かれた山城です。頂上全体は岩盤でできており岩盤は二重になっていることから茶臼山と呼ばれるようになったとも言われております。またて、頂上には1995年(平成7年)に奉納された和田備後守範長公の一族を祀る新五輪塔と数基の石仏が祀られております。当時の遺構などは確認されておりませんが、眺望は良く生島や坂越浦を一望できる場所であります。

坂越浦城・・・(赤穂市)

1454年、山名持豊によって坂越浦を防衛するために築城された城砦であると伝えられております。

坂越浦は、坂越港に位置する天然良好で瀬戸内往来の重要な中継地として栄えました。江戸時代には瀬戸内海有数の廻船業の拠点として発展し西国大名の参勤交代の民都として無盛んに使用されておりました。明応年間には龍野城主赤松村秀の支配下にあり、江戸時代には赤穂藩の番所が跡地に置かれておりました。

篠ノ丸城・・・(宍粟市)

篠ノ丸城は、山崎町中心部にそびえる標高324mの山上、通称「一本松」に築かれた山城です。赤松貞範の子、顕則により築城されたもので、室町期以降に守護代となった赤松一族の宇野氏の拠点「広瀬城」であると言われております。

天正8年(1580)5月、宇野氏が羽柴秀吉によって滅ぼされた「長水合戦」の時に本丸の長水城とともに落城したと言われてやります。

楯岩城・・・(太子町)

建武年間(134~1338)に赤松則弘が築城し、嘉吉元年(1441)赤松満裕が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、後に「嘉吉の乱」で落城したと言われいおります。やがて、赤松伊豆守貞村が居城しましたが、その後は15代続いたのち、羽柴秀吉によって落城したと言われております。

白旗城・・・(上郡町)

南北朝時代、武将・赤松円心が築城、赤松氏発展の武功を挙げた記念すべき山城です。その後も、赤松惣領家の本拠地としての山城です。

赤松惣領家が滅びた江戸時代以降も、白旗城は赤松ゆかりの城として、今なお、白旗城が広く知られております。

上月城・・・(佐用町)

毛利勢と織田勢が攻防を繰り広げたことで知られる上月城は、延元元年、平松氏の流れを組む上月次郎景盛が大平山に砦を築き、後に二代目の盛忠がこの地に本拠地を移したことに始まったと言われております。

本丸の跡には、城主をはじめ戦死者を供養する250回忌の供養碑があります。

利神城・・・(佐用町)

南北町期(貞和5年(1349)赤松一族の別所敦範が利神山に山城を築いた城で、以来、赤松一族の拠点として約200年を経て慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、播磨52万石の領主池田輝政の甥池田出羽守由之が平福領2万3千3百石の領主となりました。由之は利神山に約5年歳月をかけて広壮な城郭を築き、山麓には城主屋敷や街道沿いに町人地を設けるなどして、城下町の建設に尽力しました。

利神城の三層の楼閣は、まさに雲を衝くがごとき様相から「雲突城」とも呼ばれました。標高373mの山頂からは、本丸、二の丸、大城丸など石垣群が昔の姿をしのばせております。現在は、登山道が荒れているため登ることができません。

※ 歴史には時として所説ありますが、それぞれの山城を訪れ想像してみてください。(各市町のホームページ等から抜粋)